ふと立ち寄った材木店で
私の郷里は岐阜県の東濃にある。戦国時代に斎藤道三や織田信長が駆け廻った美濃地方の東端になるので、付近には古戦場も多い。地理的には、名古屋市の郊外と言えば分かりやすいだろうか。
実家はその地域の可児市にある。墓参りに出かけると、苔むした墓石にカニの姿が刻まれている。先祖のシャレに違いない。多分、山地と平地の境に位置し、沢蟹が多くいたのだろうと私は推理する。
小学生の頃、祖母の葬式で気づいた。参列者の背中の家紋がどれも蟹のマークなのだ。それを見てクスクス笑ったら、後でこっぴどく叱られた。
母方の実家は、明知光秀一族の末裔だと郷土史家から認定されていて、こちらの方が誇れる家柄らしい。仕事の関係者から
「可児市の可児さんだから、いわゆる地方の名門の出身ですか」
とよく聞かれることがあるが、あえて否定しないことにしている。
ところで、このあたりは、東濃ヒノキとも呼ばれる良質のヒノキを産出することで、木材の専門家には多少知られている。数年前のこと、お盆休みを利用しての帰郷の折、私は妻に、かの有名な東濃ヒノキを自慢しようと、街道沿いの、とある材木店に立ち寄ることにした。当然、彼女は木材などに興味があるはずがない。
「なんで私が材木を見に行く必要があんの?冗談でしょ」
と言うに決まっているが、そこはそれ、自宅の新築が目前に迫っていることを告げると興味深々、喜んで着いてきた。
その店は、街道に沿って延々と続き、一見、材木市場と見まごう規模だった。さすがに女連れの見学者には、店の誰も声を掛けてこないので、山と積まれた木材をじっくり観察することができた。普段、机上の作業の多い私だが、大学を出て最初の就職先で木造建築をみっちり経験したこともあり、どれがヒノキか、どれがスギかなど樹種の判別は容易につく。
この時ばかりは建築家として、夫の威厳を示すチャンスなのだ。知っている限りの知識を「これでもか」と披露するも、妻は木の種類や使い道より、その値札を見てタメ息をついた。板になる前の巨大な木材が、どっしり横たわる姿は、それだけで迫力満点。製材したばかりの木材は、どれも独特の芳香を放ち、いつまでも飽きなった。