ARTICLE

「全部畳敷きにしたらどうかしら」

ヨーロッパ諸国を旅して帰国すると、しばらく首が痛むことがある。きっと、狭い機内での寝違いかと思っていたが、最近になってその原因が分かってきた。あちらでは、古い美術館や教会を訪れることが多く、その度に天井を見上げて「スゲェー」と感心させられる。きっと、これが原因で首筋に炎症が起こるのだ。

西欧の立派な建物を見て廻ると、昔の賢人たちは最初に天井を考えたのではなかろうかと思えてくる。余りにも意匠を凝らせているからである。それに比較して、我が国の寺院などは、確かに天井画も存在するが、壁面の襖などに意匠が凝らされ、更に、それらの建具が取り払われると、まばらな柱に支えられた板敷や畳敷きの床が一面に広がる清貧な空間が現れる。床に直接座ったり寝転んだりする我が国の建築では、きっと昔の賢人たちは、床を最初に考えていたのではなかろうか。「ところ変われば」である。

大方の建築士は床と壁の材料をほぼ同時に頭の中に思い浮かべて、バランスをとるものだ。最初の間はその組み合わせは無限でも、あれこれ思案している間に絞られてくる。また、色彩も材料の選定に大きく影響してくる。私の場合は機能性を重視して材料を決めているが、その時ほぼ同時に色彩も見えている。

私の自邸の場合、床と壁の仕上げを決める段階で、こんな会話があった。

「全部畳敷きというのはどうかしら」
どちらかというと和風好みの妻の提案だった。

「おいおい、それはまた大胆な」
と、小声で否定しつつも、内心「有かもね」と思っていた。

床を畳にした場合どんな壁が似合うのか考えてみた。過去に行ったことのある温泉旅館のロビーあたりを思い起こしながら、全体が京じゅらく壁というのも一般的で能が無いし、イタリアからの輸入材料であるシッタや麻のクロスなどの壁材が日本建築の伝統の代表格でもある畳との組み合わせで、果たしてまとまるものなのか。出来上がった空間をあれこれ脳裏に映し出してみる。
「このミスマッチ、意外におもしろいかも」

ある機会があって京都のお茶屋さんに招待された時のこと。二次会で連れて行かれた高級クラブは、畳敷きのお座敷にジュータンが敷かれ、その上にデンと西洋風のソファーが配置してあった。各国の大使館にも和洋折衷のインテリアがよく見られるが、それによく似た雰囲気があり、それはそれで妙に落着く洒落た空間だった。

しかし、ちょっと待てよ、わが自邸のコンセプトは「ホテルのような」ではなかったのか。全部畳もユニークだが、そうした場合当初のイメージが根本から覆って、ホテルでなく、「旅館のような」になってしまうではないか。それはそれで悪くはないが、既にホテルで走っているので他に影響が大きい。我に返って妻のアイデアはやんわり見送ることにした。

関連記事一覧

単行本

建築家が自邸を建てた その歓喜と反省の物語

Amazon&大手書店で好評発売中!

Amazonで買う

最新記事