食器まで洗い始めた洗濯機
昔々のその昔、確か私が小学校に入る頃、電気洗濯機なるものが登場した。テレビより少し早かったと思う。ちょうどあの頃を境に、故郷の田舎でも急速に自然が壊れていった。川も汚れ、ホタルも飛ばなくなった。夜道も明るくなり、やがて天の川も見えなくなった。あれから40年、遂に洗濯機は食器を洗うまでに進化した。正式名称を食器洗い乾燥機と言う。
プロ用は別として、一般に販売が開始された十年ほど前から、浄水器同様その効力には半信半疑だったが、自邸を設計する数年前に手がけた住宅のほとんどの奥さま達から、こぞって食洗機導入の要望があり、生活備品に関しては建築士より施主さんの方がよく研究されていると感心することになった。
それでも、新しいものをすぐに受け容れられない、奥ゆかしく古風な性格の私は、
自邸の設計の時も食洗機にはそれほど関心が無かった。言い訳がましいが、この辺りの知識は建築学の範疇を越えるものと考えている。これまた、導入に積極的な妻にも
「食器洗いくらい、体うごかせー♪」
彼女が大ファンの、さだまさしの歌をまねて自重を促した。
しばらくして、導入に消極的だった私の意見は無視され、結果ピカピカの食洗機が備わってしまった。
「料理をしない貴方に、何が分かるもんね」
ところで、新居に移転すると同時に、悲願だった亭主との家庭内別居が実現した私の母は、三階で私達長男夫婦と同居することになった。
「何かやることがにゃぁと居りづらいでいかんわ」
ということで、洗濯と食後の後片付けが日課となっていった。こうして役割分担をはっきりさせることが、嫁姑のトラブル回避の秘訣でもある。
「これで私は仕事に専念できる。チョー、ラッキーかも」
涙して喜んだ嫁は、さらに善意で母に依頼した。
「どうせなら料理もお願い」
しかし、こちらはすぐに子供達からブーイングが出た。野菜中心で、バラエティにも欠けている。しかも長年、高血圧の親父に合わせてきたので、料理の味はどれも淡白になっていた。本人は、
「もともと料理は好きやにゃあで」
と開き直った。
だが、飽食の時代で、しかも育ち盛りの子供たちには通用しない。すぐに料理は母親のケイコさんが担当に戻った。