志野の湯飲み茶碗
もう二十年以上前になろうか。現在、建て替えが噂される中野サンプラザの広場で陶器市が開催されていた。「こんな所にイイものが有るはずがない」が、人だかりに誘われて立ち寄ってみた。
会場を二巡したあたりで、無造作に置かれた志野焼の湯飲み茶碗が目に留まり、手に取ってみる。何とも心地よい。ちょうど自分の手の平のサイズにぴったりだった。
ピンクがかったゆず肌に、白い釉薬が流れ、ずっしり重い印象の志野焼は、郷里である可児市の山中にあった安土桃山時代の窯跡から、後に人間国宝となった荒川豊三氏によって破片が発見され、見事に復興された国の重要無形文化財である。
「お兄さん、これいくら?」
「旦那さん、いいモノだから高いよ、一万八千円」
銀座の鮨屋に行けば、一晩でなくなる料金だが、一瞬、躊躇した。当然、ここから値切り交渉が始まる訳だが、いつの間にか店主が人ごみの中に消えた。
「ウーン、何とも手になじむ」
さらに会場を一巡してから、意を決して交渉に臨んだが、なかなか「ウン」と言わない店主に根負けしてしまった。
刻印もないので、作家モノではないだろう、こんなものに大金を払ってしまった後悔の念に駆られたが、故に以来、大切に扱ってきた感もある。最近、二十五年間乗ったジャガーを廃車にしたので、自分の身近にあるモノとしては、多分、最古参になっている。
帰省の折、時々訪れる山間の荒川豊三資料館は、いつも落ち葉がきれいに掃かれて、幽玄の世界を感じる清貧さがある。高校の同級生で、考古学の研究の道に進んだ斉藤基生君が、以前、この資料館館長を務めていると聞いたことがある。好奇心旺盛で、茶目っ気たっぷりの好青年だった彼を懐かしく想い、調べてみると名古屋の芸大で教授になっているという。使い慣れた志野茶碗の鑑定を依頼してみたいが、恐れ多い気もした。