女神のささやき
もう一度冷静になって考えてみる。入札をして落札した場合、自宅を建てるのだから、現在の入居者には全員立ち退いてもらうしかない。しかし、善良な市民を自称する私に、取り立てや追い出しなど出来るはずもない。沸々と罪悪感が満ちてきた。
「えっ、この俺が追い出しをかけるわけ?冗談よせよ」
「馬鹿ねえ、誰かに依頼するのよ。弁護士の先生とか。だから安いんじゃないの」
妙に冷静な妻の言葉に感心した。確かに人は利害で動くこともある。相当の補償をすれば立ち退きに応じてくれる人も多いかもしれない。
「入札してみましょうよ」
妻が、(いや女神が)ささやいた。
「少なくても、ここよりマシでしょ」
しかしながら、競売に参加するには、いくつかの大きな壁が立ちはだかっていた。まず、時間がない。詳細を閲覧してから競売入札日まで約三週間。通常の不動産売買のように仲介業者もいないので、法律上の制約事項などは、すべて自分で調べなければならない。もっとも仕事柄、不動産に詳しい友人も少なくないので、まったく無理でもなさそうだ。かつての企画本部長の心意気を取り戻し、勇気を振り絞って未知の「競売」に挑戦することにした。これを人は「無謀」と言うらしい。