広く、ゆったり暮らしたい
私は建築士という職業柄、土地を見ると、その上に建物が立体として浮き上がる。あたかも完成した建物が原寸大でそこにあるように。つまりこれから創ろうとするものが、鮮明に脳裏に想像できる特技がある。それと同時に、光の届き具合や、風の流れも概ね察しがつくから、天職なのかもしれない。
現在住んでいる古家の南側には、人も通れない僅か40センチの距離をおいて三階建ての隣家が建っている。西側にも二階建てのアパートが同じく手の届く距離に迫っていた。直射日光も、風の流れも全くない。これが都会生活の現実なのだ。
考えに考えを重ね、出した結論は、
「自分の人生を今から息子に捧げるのはおかしい」
だった。
つまり資産としての所有権に執着するあまり、多額の銀行ローンを抱え、しかも、狭い土地にしがみつくことは馬鹿らしい。
私の両親は、田舎から息子ふたりを東京の私学に入れることと引換えに、つつましやかな生活をよぎなくされ、人生の楽しみの大部分を犠牲にした。両親には感謝しているが、私は真っ平御免。私は、何より自分自身の人生を最高に楽しみたい。
結果として、私の死後、多少の金品が残ったとすれば、子供に軍資金としていくらかは与えるが、その後は子供の力量に任せたい。もし、この私が親から世田谷区の一等地に百坪の土地を相続していたとしたら、こうしてまじめに建築設計の仕事を続けていたかどうか怪しいものだ。半分売れば一生遊んで暮らせるのだから。
妻も同意見であった。
「たとえ資産として価値が低くても、まず私達家族が、広くてゆったりと豊かに暮らせる家を造りましょうよ」
話は決まった。
「さぁ、とうとうここから脱出だ!」