第二の実験台になってやろうじゃないの
さて、本論の私の自邸の場合はどうだったか。前述のように、道路付けが悪いため、建物の一階の半分が車庫で、しかも車が回転する広いスペースが必要だった。それに構造は木造という条件がついている。木造で柱の少ない広い空間を確保するには、従来の在来工法では多少不安が残る。
こうした時期に偶然出会ったSE構法は、私にとっては渡りに舟だったわけだ。ただ関根邸で一応の体験ができたものの、規模や間取りがまったく違うため、コスト面や鉄骨の梁補強など、問題は山積みだった。
「建築家もあろうもの、自邸で多少の挑戦がなくてどうするの。第一、実験台になっていただいたあのご夫婦に申し訳がないじゃない」
赤字を最小限に食い止めた経理担当の妻の後押しで腹が座った。
「やはりSE構法でいこう」
すぐに、あの後藤さんに連絡をとった。
そんな矢先、私の会社のメインバンクである住田銀行から連絡があった。ちょうど事務所にいて電話を取った妻の顔から急に血の気が引いていく。
「申し訳ないというのはどういう意味なんですか!」
後は聞かなくても判断がついた。
あのバブル期、住田銀行からは連日のように、営業担当がやってきた。
「とにかく融資させてください」
使い道がないからと断ると、定期預金にして欲しいという。借りて、返すのが「実績」と説得された。その実績を積むと、いざという時に融資しやすいと言う。まんまとその手にのった私が悪いのか。バブルが崩壊したあとも、返済だけは何年も続いていた。
それまで住んでいた古家の住宅ローンもこの住田銀行だった。バブル期の高い金利を黙々と払い続けたが、払った割りには元金はほとんど減っていなかった。私達のように十年ほどで借り換えるのは銀行にとっては一番の上客らしい。たっぷり残ったローン残金を、一旦自己資金をはたいて精算し、新しく融資を申し込んで二ヶ月あまり。その間、何の音沙汰もなく、突然の電話がこれだった。
「いったい何が原因なんですか」
気色ばんだ妻の声が続く。