ダンディ上村とミラノに乗り込む
最終的には、折衷案の提案が私に求められた。はて困ったあげく、私は戸澤さんに相談した。
「似たものでホワイトアッシュがあるが、いいものはイタリアに行かないとね」
提言を受けて、当時の設計監理チームのトツプだった日本設計の上村主幹と私は、さっそくゼネコンに掛け合ったのだが埒があかない。
「何とか日本で調達できる範囲でお願いしますよ」
相手は業界でも有名なケチゼネコン「S」だった。しかも名古屋支店。そもそもこの地域は節約志向の強いトヨタのお膝元。
「トータルで黒字になれば」
なんて粋な計らいが許される土台が会社に存在しない(らしい)。
「郷土に錦を飾る」そんな意識も手伝ってこの仕事に携わっていた私と、風貌も言動もダンディな上村氏は、このまま黙って引き下がるわけにはいかない。ゴールデンウイーク間近の、とある昼食時、どちらとも無く吐き出した言葉は
「かくなるうえは、自腹を切ってイタリアに飛び、予算内でいいモノ探してやろうじゃないの」
その一週間後、熱く燃える2人はミラノの街角に立っていた。いや、正確には
2人ではなく4人。他の2人とは、私の妻とその妹。どちらも近々自分がマイホームを作るための参考になればとの名目で半ば強引に参画。資産家の御曹司らしい上村先輩はともかく、この私が気前良く自腹が切れたのは、結婚後初めての「女房孝行」という隠された理由があったからだった。