カッシーナとの出合い
時折、埼玉県岩槻市の戸澤さんの工場に出向き、更に木への造詣を深めるにつれて、私の関心は建築から家具や建具にも広がっていった。製作家具や内装に関しては、戸澤さんの真骨頂だが、当時親交のあったカッシーナジャパン社長の武藤さんからもイタリアやデンマークなどの優れた輸入家具の存在を知らされた。
私のホテル設計第一号は八王子市にあるが、当時はまだ珍しかったキャブと呼ばれる総皮張りの椅子を、そのデザインの独創性から採用した。カッシーナといえば、今や全世界で最も人気が高い家具のトップ企業だが、当時まだ日本支社としては創業期だった。八王子のホテルの開業前に、武藤社長自ら額に汗して椅子を運び入れる姿を今も思い出す。
私が社会人になって間もない頃、ヤングエグゼクティブとは、きっとこんな人を言うのだと憧れるほど彼はカッコよかった。長身で物静か、聞くところ育ちもよく、甘いマスクにBMWの7シリーズが似合っていた。納品を終わると、
「それじぁ、また、可児さん。どうも」
と言い残し、ボン(ドアの閉まる音)、シャー(発車音)。それをボウ然と見送る私が居た。
数年後に、別の仕事でミラノに同行する機会があり、その堪能なイタリア語を耳にしたあたりでは、ほとんどノックアウトされていた。悔しいかな、天は二物を与えることがある。加山雄三を筆頭に、世の中には生まれつき、こうした魅力と才能を備えた人間が存在する。
家具については戸澤さんからその本質を、デザインでは世界をリードし続けるイタリアの最新情報を武藤さんから教わった。当時の私は、とにかく
「おや、まあ、そうですか」
と、どんどん知識を吸収できる幸運に恵まれた。
その後、この戸澤さん。周りの優れた家具職人たちは、バブルの崩壊などが響いて、ほとんど廃業してしまった。手仕事が欠かせない高品質な家具や建具工事は、絶滅危惧種と言う人もいる。そんな中で、数十人の若手職人を率いて、エネルギッシュに活躍する姿は貴重な存在となっている。
現在も、一流の仕事を求める注文者から引っ張りだこで、「断れない」と嘆きながら、国宝級の修理なども手掛ける一方、一流ホテルの内装、国内を代表する高級旅館から話題の豪華列車まで、いいものは何でもこなす。もう時効だろうが、事務所には御用車(天皇陛下のお車)の写真まで掲げられている。当然といえば当然だが、紛れもない大御所になってしまった。
一方の武藤さん。カッシーナジャパンを軌道に乗せ、国内でその基盤を築いた直後に、突然、病魔に倒れた。数年後、友人代表の北山さん(建築家 安藤忠雄の実弟)から訃報が届いた。美男薄命。感謝の言葉とともに冥福を祈りたい。