穴が開いたキッチンカウンターはいかが
ここは一番、増田会長のところに相談に行ってみることにした。この人、元々はデパートの売り場など、店舗内装を得意とする木工職人を多く抱える会社の代表なのだが、見るところ江戸っ子を絵に描いたような粋な人物。
「日本で一番多く木を持っている人」
との噂に興味があって、知人の紹介で何年か前にお会いした。保有する原木の多さなら、林野庁や住友林業にはかなわないが、家具に使えるように乾燥された材を山のように保持しているという点では、まんざら嘘でもないとその倉庫を見て思った。
埼玉県の空き地に、トタン板の屋根ではあったが体育館のような巨大な倉庫が二棟並んで、その下には何千枚か数えるのも躊躇されるほどの挽き板が積んである。
「可児さん、好きなだけ持ってっていいよ」
と言われても・・・。
「何ならまだ数倍、北海道の旭川にストックしてあるから」
と豪語する。聞けば、バブル期の前あたりから、仕事で稼いだ大半の金額をこの原木の購入に費やしたそうな。「ひと山なんぼ」の時代だったらしい。
会社のショールームに家庭画報が置いてあった。付箋が貼ってある場所を開いてみると、堂々数ページにもわたって特集が組まれていた。タイトルには着道楽ならぬ「木道楽」とある。巨木をくりぬいて作った安楽椅子にあぐらをかいたその姿はまさに木の寵児だった。
この会長曰く、木を突きつめていく(英語でクウェストと言う)と、埋もれ木に行きつくらしい。その昔、自然災害で生き埋めになった大木が何百年、何千年を経て河川工事などで偶然発見されると、泥を吸って「えも言われぬ」自然の色に染まるらしい。自然が作り出す泥染めというものだ。これが
「実に味があっていい」
のだそうだ。
「埋もれ木に凝っているうちに、この人自身が埋もれちゃったのよ」
肩口で奥さんが苦笑い。ほんの冗談としても、こうした豪快な旦那を支える奥さんには、経営的に他人には分からない苦労があるに違いない。
さて、この会長が言う。
「カウンター選びは自分に任せて」
こうした職人気質の男の申し出には黙って従うのがセオリー。(鮨屋もそうよ)
後日、改めて出かけてみると、厚さ十センチもあろうか、とても一人では持ち上がりそうもない桜の厚い板が用意してあった。しかし、よく見ると真中に腕がスッポリ入る位の穴が開いている。
「いわゆる商品にならないクズに違いない。騙されるもんか」
戸惑う私を前に、会長は真剣そのもの。
「可児さん、これ正直どう思う?」
その目が燃えている。
「君、どんな建築雑誌読んでぇねん」
学生時代、偶然出会ったモロッコ旅行での安藤忠雄の目に似ていた。
木と供に人生を生き抜いた達人が私を試している。もちろんタダではないし、自分としても妥協できるものでもない。私はじっとその節穴を見つめて自分の感性で結論を出した。
「会長、これにしましょう」
無傷の板より、その穴の周囲の年輪に、この木の自然との闘いの痕跡を感じたのだった。すかさず増田会長がニヤリと笑った。
「実は可児さん、ここが木の命なんだよ。分かる人に使ってほしい」
こうして我が家のシンボルとしてのキッチンカウンターが決定したのだった。