男子100メートル走で渋谷区1位に
「ケイスケ、廊下を走るンじゃない」
これまた何回怒鳴ったことだろう。廊下の西の端にある子供部屋から、キッチンの冷蔵庫めがけて一直線。真ん中の天窓のあるあたりでトップスピードに乗り、ほんの数秒で彼は目的地に到達する。その度に、意外に振動に弱いSE工法のこの家では、足音が階下のアパートまで伝波しているはず。ゼオンから発売されている厚さ10ミリの制震ゴムを床の下地に敷き詰めるか否か、迷った末にケチったことを後悔するも時すでに遅し。
廊下は他の部屋との段差を消すため、統一してコルクタイルに決めた時、参考にしたコルクタイルの見本帳には、優れた衝撃吸収力があるような表現があり、これに期待した。しかし、冷静に考えれば、たった5ミリ程度のコルクタイルにそんな効果があるはずがない。考えが浅はかだった。
後悔しても始まらないので、竣工後に考えた対策は、階段と同じカーペットを廊下に敷き込む方法だった。もうすでにコルクタイルで仕上がっているため、両端はそのまま床材が見えるようにして、歩く部分のみカーペット敷きにする置き敷き方式とした。
幅80センチ、長さ12メートルもある繋ぎ目のないカーぺットが運び込まれた時は圧巻だったが、敷き込んだ上を歩くと、いつの間にかクネクネと曲がってしまった。「こりゃいかん」とズレ防止を兼ねて厚めのフェルトを下敷きとしたところ、これが思いのほか振動を吸収してくれることになった。
振動は当初の半分くらいに抑えられ、「ケイスケ、走るな!」の罵声は家族の誰からも聞かれなくなった。そして彼が思う存分ダッシュを繰り返す毎日が復活したのだった。その結果、数年後には渋谷区にある20校の小学校の中で、なんと100メートル1位を獲得することになるのだから、世の中何が幸いするかわからない。