車の回転のために必要な無駄な空間
敷地が少しばかり大きくても道路と接する部分が少ないと、車庫を道路に面して作れないので、いったん敷地内に乗り入れてから回転できる場所が必要となる。そうでないと突っ込んだまではいいが、出られない状況に陥る。こうして、私の自邸は車の回転スペースが最優先される妙な設計となってしまった。
そもそもこの私が建築の世界に入るきっかけは、中学生の頃、フランク・ロイド・ライトの設計となる「落水荘」の写真を図書館で見つけたことだった。世界で一番有名なその住宅は、森の中の流れる小川と小さな滝の上に建っていた。発想もユニークだが、絵的にも素晴らしいもので、子供心にしびれてしまった。以来私はライトと同じ建築家を志し、この建物を手本に研鑽を積んできたのだった。
ところが何という運命の悪戯か。まったく自由に設計できる唯一のチャンスで、私は小川の上ではなく、車が回転する空地を敷地に選んでしまった。その昔「建築はロマンだ」と言った建築家がいたが、「道路状の空地の上に建てる」とはロマンどころか、何と情けない響きなんだろう。
開き直って、この空地を専門用語で「ピロティ」とカッコよく呼べないこともないが、この道路状の空地を取り込んだ住宅は、統計的にもきっと珍しいことだろう。他人様には、まったく無駄なスペースに見えるに違いない。もちろん、もう少し全面道路が広いとか、行き止まり道路でないとか、敷地と道路の関係が改善されていれば、こんな無駄な設計は禁物である。
しかし、妻との縁を取り持ったジャガーは今のところ捨てられないし、もう少し小回りの利く小型車も一台ほしいと思っていたので、2台分の車庫はどうしても諦めがつかなかった。さらにここは、奥に続くアパートへの通路も兼ねているし、子供たちの安全な遊び場にもなるという勝手な理屈で、自分自身を納得させたのだった。
建物の中の道路のような空間は、構造的には周囲を壁で囲んだ方が安全有利となるのだが、法律的には半分くらい外部に面していなければ許可にならなかった。火災の時、煙が外に出ていくためである。その有効性の議論はともかく、ちょうど車の排気ガスを逃がす意味でも有利なので、お上の指導に従って、所々壁を取り払う設計とした。それでも北側のためか、まったく直射日光は射さないので、昼間でもほんのり薄暗い場所となってしまった。