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物騒な世の中、玄関錠を工夫する

私が生まれ育った藁葺き屋根の家の玄関は、重い木製の引き戸だった。カンヌキが付いていたかもしれない。記憶では、父親が夜ごと、玄関戸に中からつっかい棒を立てかけていた。その頃、多分金属製の鍵はなかったように思う。

周りはほとんどが農家で、多分どの家にも金目のものなどなかっただろうから、無用心との意識も薄かったに違いない。その家の庭からは満天の星に、天の川がはっきり見えていた。夜は一歩先も見えないくらい暗かった。それでもたった一度だけ泥棒が入り
「おひつのご飯の残りを食べていった」
と母親から聞いたことがある。

小学四年生の頃、転校して街中の新しい家に移ってからは、玄関はガラス格子の引違い戸だった。父親が毎晩9時に流れる有線放送のミュージックを聞きながら、ねじ回しのようにして玄関を施錠していたことを覚えている。しかし、夏になると夜は座敷の窓を開け放して網戸のままだったから、今思うと玄関の鍵は何の防犯にもなっていなかったことになる。

上京して鍵を持ち歩く生活になり、結婚直前に初めて購入した古家では、泥棒がピッキングで開けにくいディンプルキーに変えた。こうして、時代が移るごとに防犯の意識が高まっていくのだが、果たして今回の自邸ではどうしたものかと考えた。三階が主な居住空間なので、一階の玄関ドアの施錠さえ完全にすれば多少は安心できる気もする。

しかし、玄関前の車庫に外車のジャガーが駐車してあるので、賊は「金持ちの家」と勘違いする危険性もある。もともとこのジャグァー(通はこう呼ぶ)は、私のような庶民が乗る車ではない。一億総中流意識のこの日本に突然訪れたあの忌まわしいバブル期の副産物なのであるが、時がその記憶を消しつつあった。

「『もう十年も前に買ったもので、廃車寸前です』と貼り紙でもしといたら」
と妻のケイコが真顔で言うが、賊が外国人の場合は判読できないので意味がない。結局ピッキングが難しいとメーカーが胸を張るディンプルキーを上下2個取り付けることにした。それでも一抹の不安は残る。

つい最近も、近くの住宅で複数の外人らしき強盗が侵入し、家主が殺される事件があった。その後、捕まったという報道は聞いていない。きっと彼らにかかれば2個の鍵など無いに等しい。夜も更けた丑三つの刻、ストッキングを被った黒装束に「カネ、カネ」と枕元で囁かれたら一巻の終わり。
「オーノー、アイアムアーキテクト。ティピカルノーマネー」
そう叫んだところで果たして無傷で済むのだろうか。

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